講座「読む人の気持ちをつかむ文章術」の質問に答えます

2015年冬期大阪藝術学舎の授業を受講してくれた方の質問に答えるコーナーです

講座レポートについて質問します。 by.W.Hさん

 講座レポートについて、質問します。課題テーマで「講座の受講を通じて学んだこと、得られたことについて、800文字程度でとりまとめること」とありますが、具体的にどのように書けば、よろしいのでしょうか。

 たとえば、各回の内容を要約して、その得られたことを述べる形、得られたことの一つ二つに絞って、今後の抱負を述べる形や、問いを設定してその答えを述べる論文の形などが考えられますが、どのような形がよいのか具体的に教えてください。

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f:id:pasoco:20150322225843j:plainお答えします!

 この質問は授業の中でざっとお答えしました。もうレポート提出は終わっているので、レポートを書くという目的には役に立たないのですが、どういう基準で採点していったかをこの質問を使って答えていこうと思います!
 わたしの授業をリンゴにたとえてみます。授業を受けるということは、わたしが用意したリンゴをもらうことです。わたしは、このリンゴのどこがおいしくてどんな栄養があってどこで見つけてくるか、それを説明し、みなさんに渡します。

 みなさんは、ふむふむ確かにこのリンゴはいいなあ!と思って受け取ってくれるでしょう。でもそのリンゴを手に入れて眺めているだけでは「学んだ」「得られた」ことにはならないのです。匂いをかいで、かじってみて、もぐもぐ食べてみて、体の栄養にして、今度は自分でどうやってリンゴを取ってこようかと考えて、授業を思い出しながら試行錯誤して、ようやく自分なりのちっちゃなリンゴを手に入れた!

 その唯一無二のリンゴをわたしは見たい。武勇伝を聞きたい。

 手渡したリンゴは知識とヒント。学ぶというのはその先にあります。「得られたもの」はわたしが渡したリンゴじゃないんです。いや、そのリンゴも大事な収穫物ですが、それだけじゃつまらない。リンゴがきっかけで始まった冒険の中にもっともっと重要なものがあります。冒険=自分の五感で感じ考えたこと、です。レポートやエッセイの面白さ・深さはこの「冒険」をどれだけできるかで決まります。

つまり、

A.こんなリンゴもらったよ!とリンゴの説明するだけ→初級

B.リンゴ食べたらこんなこと感じたよ!と自分の感じたことを説明する→中級

C.もらったリンゴを参考に自分なりのリンゴを探してくる→上級

となります。

 W.Hさんの質問を使わせてもらうと、「各回の内容を要約して、その得られたことを述べる形」は <A.リンゴの説明をするだけ> に相当します。評価は低め(でも講義の内容を理解しているので十分合格点)。「得られたことを一つ、二つに絞って、今後の抱負を述べる」は、A.にちょっとおまけがついた感じ。「問いを設定してその答えを述べる論文の形」はCになります。

 ただし、わたしの講座は自分の感じたことを表現する講座なので、形としては論文じゃなくてエッセイになります。実験や研究をする代わりに、自分の過去の体験や思い出をしっかり見つめ心を動かします。

 授業で聞いたことをきっかけに自分をふりかえって、素朴な疑問を抱き、その答えを探しにいく…。途中過程はもう暗中模索。レポートを書いていたことすら忘れて大冒険。でもその冒険の先に、今までは気づけなかった小さな何かを見つけるはずです。見つけたら冒険は終了です。

 しかし、ここで安心しては駄目ですよ。これはまだ下書きです。あっちこっち迷ったすべてを書いたら伝わりにくくなります。部屋を整理するように、いるもの、いらないものをよりわけて、順番に並べて、親切な道案内もたてて、そうやってようやく完成です。汗だくですね。
 同じ800字でも、これだけ手間暇かけた800字と、下書き(冒険)なしに、見えてるところへひょいひょいと5分で移動しただけの800とは、味わいが違います。この味わいの深さが面白さ(そしてレポートの場合は点数)に反映されています。とはいえ、こんな基準は余剰の部分。授業をしっかり理解できているという合格ラインは全員達していましたよ!
 おつかれさまでした。お預かりした添削も今からするので待っててくださいね!

 次の講座は夏…と言ってたのに秋になりました。大阪で9月か10月の土日のどこかに2日間連続の集中講義です(集中枠は土日しかないので)。朝から夕方までぎっしり2日間!

 次は何をしようかな。全部受講してもかぶらないように、でも初めての人にもわかるように、という両方の条件を満たせるよう考えてますので、またお会いできたら嬉しいです。

 次は集中なので添削はできないけれど、宿題を家でやる時間がない人にとっては、5回に分かれた講座より、授業中に集中してえいやっと書けるかもしれないです。授業中にできるだけ見て回って、突っ込みや感想を言えたらと思ってます。

 エッセイや小説のような、その人の想いがこめられた文章に赤を入れるのは、手術のためにメスで体に傷をつけるような気持ちがする。お互いの信頼関係がないと大怪我してしまう。それに、わたしの文章に対する考え方を伝えてからじゃないと、手術は成功しない。だから添削は授業を聞いてくれた人だけにしかしていないのです。

 少人数でじっくりやる講座もまたやりたいな。今のところは予定はありませんが長編を書きあげたらやってみたい。講座の感想をもらって、文章を書くってすばらしいことだなあと改めて実感させてもらいました。わたしも小説を書いて秋の講座までには長編作品をいくつか仕上げたいです。

 書き続けましょうね。コツコツと。その苦労は絶対むくわれます。書くということは幸せを貯金していることなのかもしれない。